凛と花陽とそれ以外のもの(前編)
ICTアドベントカレンダー3日目です
学校が廃校になるというニュースは、びっくりするような速度で校内中をかけめぐっていた。ひとつ上の先輩があまりのショックに倒れたという、嘘みたいな話までささやかれている。
ふたりがその話を聞いたのは、寒さがすこしやわらいできた、四月半ばごろのことだった。
「あっ、ふたりとも聞いた?ここ、廃校になるんだって」
かばんを机のうえに置いたとたん、隣の席の子にそう言われて、おもわず目をぱちくりとさせてしまう。しってた?ううん、しらない。そんなやりとりをしながら席に座る。
「廃校って……あの、廃校だよね?学校が、なくなっちゃう」
「うん、その廃校」
「学校が、なくなっちゃう……? ええっ!? それじゃあ凛たち、どこかに転校しなきゃいけないの!?」
「わたしたちが卒業するまではあるみたいだけど、もう来年から新入生は来ないみたい。……廊下にある掲示板にくわしく書かれてるよ」
見てきたらいいんじゃない?と言われ、そろって席を立ち廊下へ向かうことにした。せっかくすこしあたたかくなってきたっていうのに、いやな話をきいて落ち込むふたりのこころをあらわしたように空は灰色に染まっていて、いまにも雨が降り出しそうだった。もともと凛はしとしとと静かに降る雨が好きだったが、今日のような落ち込んでいるときに限って降ってくる雨は嫌いだった。
「学校、なくなっちゃうんだね」
「せっかくがんばって入ったのに……残念だにゃ」
「でもたしかに、一年生は一クラスしかないし、納得かも」
「はっ! ねえねえかよちん、もしかして、後輩、もう出来ないってこと!?」
「そうなるかも……」
そんなの嫌だにゃー、と嘆いているのをなだめながら歩いていると、でかでかと「廃校」の文字が書かれた紙が掲示板にたくさん貼られている様子が目に入ってきた。たしかに、転校はしなくてもいいみたいだけれど、やっぱり、後輩が出来ることはなさそうだった。ますます気分が落ち込んでしまった凛は、不機嫌そうな表情で花陽の手をとり、どこかへ歩きだした。
「えっ、えぇっ、凛ちゃん? どこいくの?」
「もう授業なんかやってらんないにゃ」
「ええええ、さぼっちゃうの!?」
強引に手を引きながら歩く凛は、なんだかんだ言って花陽がわがままを許してくれることを知っているのだ。屋上へ向かおうとしていたが、ふと目を向けた窓の向こう側で雨が降り注いでいるのを目にして、また少しだけ不機嫌になって、方向転換する。
入学したてのころに校内案内されたとき、ほとんど使われていないと言っていたコンピュータ室だ。あのときにすこしだけのぞいた室内はほこりっぽくて、いかにも使われていませんといった風貌だったけれど、今はふたりでだらだらとしながら気分を落ち着けることができればどこでもよかった。
「勝手にはいっていいのかなぁ……」
「使ってないって言ってたし、きっと大丈夫だよ」
そう言いつつ、鍵が閉まっているだろうな、と予想しながらドアを開けると、意外にも途中でひっかかることなく開いてしまう。力をこめてドアを引いていたので、がららら、という勢いの良い音が廊下に響き渡る。
「あっ、やばいにゃ、かよちんはやくはやく」
授業はもう始まっていた。
はじめて授業をさぼる凛は、勢いで決めたわりに、さぼる、という行為自体を楽しんでいた。それも、一緒にいるのは花陽だ。きっと一人でここに来ていたらこんなに楽しめていなかったに違いない。それを、音をたてたせいで先生に見つかるというくだらない理由で終わりにしたくはなかった。
ふたりであわてて教室へ入ると、薄暗い部屋のなか、片隅にぼんやりとした光が見える。部屋の電気を消した状態で見るパソコンのディスプレイの光はなんだかあやしげな雰囲気とともに神聖な雰囲気もあって、パソコンに向かっているのが同級生だと一瞬気づくことが出来なかった。
「あれ、……にしきの、さん?」
「え?」
呼びかけた途端ぱっとこっちを向いたのは西木野真姫だった。入学早々のテストで、ぶっちぎりの一位をとったと話題で、実家が病院で、西木野さんは医学部に入りたがっていて、と思いつく限りの聞いたことのある情報を頭の中に並べてみたが、凛にはなぜ彼女がここにいるのかまったく思いつかなかった。すくなくとも、廃校という事実に落ち込んで授業をさぼるような人には思えなかった。
安っぽい椅子をきいきいと鳴らしながら回転させ、こちらを向いた真姫と目が合う。きれいな紫色で、なんだか吸い込まれそう。
「えぇと、……星空さん、と、小泉さん、だったかしら」
「うん、そう、小泉花陽です」
「ねえねえ、西木野さんなにしてたの?授業はいいの?電気つけないの?」
「ちょっと、りんちゃん……」
興味のおもむくまま、矢継ぎ早に質問してしまった凛は、たしなめられてぱっと口をおさえた。そんなふたりを見ながら、すこしだけ鬱陶しそうな表情を隠そうともせずに真姫は答える。授業は面倒だったからさぼり、電気も面倒だったからつけてない。
手をつないだまま真姫が座っている椅子のそばにある椅子に腰掛ける。廃校で落ち込んでいた気持ちがうつったのか、先ほどの音より何倍も大きい音でぎいい、と不機嫌そうに鳴いた。
「なにしてるの?」
「べつに、そんな大したことはしてないわ」
「ふーん……つまんないにゃあ」
「つ、つまらないってなによ!」
「あわわわ、西木野さん、ごめんね、凛ちゃんもだめだよ」
花陽に怒られたのは今日で三回目だ。怒られたといっても、軽い注意程度のものだが。それでもすこしむくれて、かよちんのばか、とつぶやきながら椅子をきいと回転させて前を向く。
「……にしきのさん」
「なに?」
「あれなに?」
「あぁ……入学したころからあったわよ」
赤い、きみょうな形をしたゆるキャラのような見た目をしたキャラクターが描かれていて、そのしたにでかでかと「パソコン甲子園」と書かれている。凛の知っている甲子園は、あちこちで開催される予選を勝ち抜いた高校が一ヶ所に集って決勝戦をし、そして優勝した高校は強豪として名を馳せる。それぐらいだ。そのパソコン版、といってもまったく予想がつかなかった。
近くによって見てみると、二名一チームで、七月までに参加登録しなきゃいけなくて、十一月に本選がある、ということが書かれている。
そこで、凛は思いついた。甲子園というぐらいだから、優勝したところの学校は有名になるはずだ。ふたりでチームを組んで、もし優勝すれば名前が広まって入学希望者がたくさん来て、廃校はやめになって、後輩が出来る。完璧な計画だと思った。
「よし!凛、かよちんと一緒にこれに出ることにする!」
「えぇっ!?」
「優勝して、後輩がっぽがっぽ作戦にゃ!」
この完璧な計画の前にひれふすがいいにゃ、とばかりに腰に手を当てて振り向いた。困った顔と、呆れたようなため息。凛は花陽の手を取り、ぶんぶんと振りながら出ようよぉ、とねだる。
そんなふたりを見ながら、真姫が言った。
「出るのは別にどうでもいいんだけど、どれで競うのか知ってるの?」
「知らないにゃ」
「知らないのに優勝するって言ったの!? ……なんというか、すごいバカね……」
「西木野さんひどい! 凛はバカじゃないにゃ!」
「凛ちゃん、どうどう…… ね、西木野さん、なにで競うの?」
「うーん……まあ、プログラミング、かしら」
ぷろぐらみんぐ?しってる?ううん、しらない。朝みたいな会話をして、ふたりで真姫をじいっと見つめる。目線にたじろいだ真姫は、ため息をつきながらパソコンに向き直り、かたかたとキーボードを打ち始める。
座っていた椅子を鳴らしながら近づいてディスプレイを見てみると、黒い画面に白い文字がたくさん打ち込まれていて、なんだか頭が痛くなってしまった。全部記号や英数字で書かれていて、英語が苦手な凛にとってはまったく意味がわからないものばかりだった。いっぽう花陽は英語が得意だったが、書かれているものを読んでみても、色付けされているものとされていないもので差がまったくわからないし、知っている英単語は「include」や「main」ぐらいのもので、ほかに見知った単語はなかったのだ。
「小泉さん、好きな数字二つあげてもらえる?」
「え、えーっとえーっと、じゃあ、11 と 1 、で」
かたかた、と 11 と 1 のあいだにスペースを入れて入力し、エンターを押すと、次の行に 12 という数字が表示された。
「いま、私が 11 と 1 って入力したでしょ? それで、次の行にその合計が表示されたってわけ。 こういうことをするのがプログラミング」
「全然わかんないにゃ」
「そう言うと思ったわ……」
もう面倒だからこれでも読んでなさい、と渡された本の表紙にはかわいらしい猫の絵が書かれていて、わあっ、凛ちゃんみたい、かわいい、と喜んでいる花陽を尻目にぱらぱらと本をめくると、日本語と英語と記号が入り混じって色々と書かれている。読むのが大変そうで、すぐに諦めたくなった。しかし、花陽がなんだか楽しそうに本を読んでいるのをみて、ころっと気が変わる。お互いにとって楽しかったものはたいていお互いにとって楽しかったし、きっと今回もそうだと思った。
「一応言っておくけど、その本、今までの知識で理解しようとしないで、こういうものだ、と思って読んだほうがいいわよ」
「ねえねえ、西木野さんのこと真姫ちゃんって呼んでいいかにゃ?」
「あっ、わたしも、良い、かな……?」
「ふたりとも私の話聞いてた!? ……別にいいわよ」
「やったーっ、まきちゃんまきちゃーん」
「えへへ、わたしのことも花陽、って呼んでほしいな」
「あっ、凛も凛も!」
「はいはいわかったわよ、凛に花陽ね」
ぶっきらぼうにそう言い放つ真姫にちょっとだけ申し訳なく思う花陽だったが、その耳がすこし赤く染まっているのをみつけて、ほんわりとした気持ちに包まれる。まきちゃん、かわいいな。そう思いながら帰ることを促す。気づけばもう一限目が終わってしまう時間だった。
読み終わったらまたくるね、わからなかったらくるね、と言い続ける凛の手を引きつつ、うんざりした表情の彼女にごめんね、と告げてコンピュータ室を出た。
窓の向こう側にある空は、この教室にはいったときとうってかわってすきとおるような青空で、花陽はなんだか楽しくなりそうだな、とこれからの生活を思ってふんわりと微笑んだ。
「まきちゃん!まきちゃーん!」
ばあん、とコンピュータ室のドアを開けると、最初この部屋へ来た時のように薄暗い部屋の中で唯一真姫の座っているところだけぼんやりと光っていた。
ここに来ることもずいぶん慣れたし、真姫ちゃんともだいぶ仲良くなったな、と思いながらドアを開けたまま中に入っていき、しょうがないなあ、と静かにドアを閉めてから中に入る。凛はいつもこの部屋のドアを勢い良く開けるし、そのたびに真姫はうんざりした顔をするし、花陽は苦笑しながらドアを静かに閉める。ある種のお約束のようなものだった。そういった「お約束」が出来る程度にはこの部屋に訪れていて、凛に似たかわいらしい猫が描かれた本はすでに読み終わっていた。
あの日言われたとおり、「こういうものだ」と思って読み進めると意外にすらすらと読めて、気合をいれて夜通し読むつもりが早々に終わってしまい、ふたりでお菓子をつまみながらおしゃべりに興じたのは記憶に新しい。久しぶりにおとまりすることが出来た花陽は、別の意味でも真姫に感謝していた。高校に入ってまでおとまりに誘うのは少しだけ恥ずかしかったのだ。
「ところでふたりとも、本当にパソコン甲子園に出場するの?」
「あったりまえにゃ!優勝して後輩がっぽがっぽ!」
「ふふ、凛ちゃん、それ好きだよね」
「優勝は置いといて、チーム名どうするつもり?」
まったく考えていなかった、と言わんばかりにぽかんとした表情で、どうしようりんちゃん……と困った表情で目をやる。そんな視線を受けて、凛はふふん、と腰に手をあて胸を張り、実はもう考えてあるにゃ、と言った。
「かよちんが小泉だから、spring なんていいんじゃない!?」
「却下よ」
「えええええっ、真姫ちゃんひどいにゃー! かよちんはこれがいいって思うよね?」
「う、うーん、それはちょっと……」
「かよちんまで……もう凛いきていけないにゃ……」
落ち込む凛をよしよし、と撫でながら、必死に代替案を考える。自分の苗字をそのままチーム名にしてしまうのはなんだか恥ずかしいし、小さいという単語を入れたチーム名にするのもなんだか縁起が悪いようで、凛はそこを考えてくれたのかちゃんと外してくれていたけれど、それでも元のものを考えるとやっぱり縁起が悪いように感じてしまった。今からあれこれ考えるのは面倒だし、凛ちゃんの苗字を英語にするのはどうだろう、たしか真姫ちゃんもも凛ちゃんの苗字が綺麗で好きと言っていたはず、と考えて口に出す。
「凛ちゃんが星空だから、Starry Sky とかどうかな……?」
「えぇっ凛の苗字つかうの? なんだか恥ずかしいよ…」
「……私はいいと思うけれど」
「うん、真姫ちゃんもそう言ってくれるとおもった」
「凛の苗字、とても綺麗だし私は好きよ」
「えっ、えっ、なんか照れるにゃ……」
気が抜けたように、ぽすんと椅子に座った凛の頬がすこし染まっていて、なんだか鼓動が少しだけうるさく感じた。それと同時に落ち着かない気持ちになって、焦燥感で胸がいっぱいになる。凛ちゃんがああいう表情をするのは、わたしの前だけだとおもっていたのに。そういうことを一瞬思ってしまい、振り払うように頭をふるふると振る。
心配そうに見てくる真姫の視線を振り払うように、もう登録しちゃうね、と言って、家から持ってきていた薄いノートパソコンを開いて電源を入れる。いつもはなんとも思っていなかったけれど、こんなときばかりは起動がはやいものを選んで正解だった、と過去の自分を褒める。
登録は思いの外すぐにすんで、パソコンを閉じて振り向くと、凛と真姫がじゃれあっている様子が目に入る。ずき、と痛むような感覚を無視して、二人に声をかけた。
「登録、終わったよ」
「ありがとにゃ! かよちん、今日帰りに駅前のパフェたべてかえろーっ」
「このあいだ行きたいって言っていたところ、だよね? うん、いいよ」
「あ、そうだ、ねえふたりとも、AOJ って知ってる? 会津オンラインジャッジって言って、パソコン甲子園の過去問とかもあるんだけれど……」
「聞いたことないにゃー」
「そうよ、知らないなら良かったわ… 一度やってみるといいと思う」
「帰ったらやってみる!」
そう言って真姫にきらきらとした笑顔を向ける凛を見て、また胸が痛くなった。やっぱり、なんかおかしい。体調が悪いのかもしれない。いつもの凛ちゃんなら、体調が悪かったらすぐに気づいてくれていたのに、今日はそんなことはなかった。そう思って凛を見ると、真姫と楽しそうに話している。ずきり。また胸が痛くなって、自分を見てくれないことに言いようのない不安を覚えてしまった。
「……ぁ、わたし、もうかえる、ね」
「えぇっ、かよちん、パフェは!?」
やっぱり、気づいてくれないんだね、そう思って、返事も早々に急いで荷物をまとめてコンピュータ室を出てしまう。昇降口までどうやって歩いたのかわからないし、どうやって家に帰ってきたのかもわからなかった。かばんを投げ捨てるように床に置いてベッドに寝転がった花陽は、誕生日に貰った黒い猫のぬいぐるみを抱きしめて、泣きたいような気持ちになった。
花陽と凛は幼なじみだった。物心つく前から一緒にいて、いじめられたときにはいつだって助けてくれて、泣いていたらいつだって涙をふいて抱きしめてくれた。でも今花陽のそばに凛はいない。花陽ではなく真姫のそばにいる。はじめはあんなに仲が悪かったのに、最近はすっかり仲良しだ。それこそ会ったばかりのころは花陽がいないと気まずくて気まずくてしょうがない、と愚痴っていたのに。
りんちゃんの、ばか。
ぽつりとつぶやいた言葉は夕闇に溶けて消えるよう。自分がいだいている感情はわがままで、凛がばかでないことは十分わかっていた。ばかじゃなくて、がんばりやで、頭がよくて、聡いから、花陽よりも早くプログラミングについて飲み込んで、本を読むのも早くて、真姫の話についていったのだ。凛と真姫が話をしているのを見ていると、どんどん置いて行かれてしまうんじゃないかという気持ちになって、自分に出来ることはなにもないと思ってしまって、もう感情が爆発してしまいそうだった。
泣くのを我慢しているとだんだん吐きそうな気持ちになってくる。こんなに苦しいのに、凛はいまごろ真姫とふたりでパフェを食べて、お互いに交換とかしているに違いない、そう思うと今まで以上に視界がゆがむ。ぎゅっと目を強くつむって、必死にこぼれないように我慢していると、いつもふたりでパフェを食べるときに、凛の差し出してくるスプーンと、そのときのはじけるような笑顔と、スプーンをくわえるときの嬉しくてはずかしいときの気持ちがよみがえってきて、胸が突き刺されたように痛くて、ぐちゃぐちゃな気持ちになった。きっと凛と真姫は、凛と花陽がしていたようなことをしているのだ。
「りんちゃん…りんちゃぁん……」
いちど涙があふれてしまうと、もう我慢できなくて、次から次からあふれてくる。いつも涙をぬぐってくれて、だきしめてぬくもりを与えてくれていた凛は、もう花陽のそばにはいないのだ。
なかがき
これ「あとがき」ではないので間をとってなかがきにします.
そらはー先生,うたた先生,校正 & 意見ありがとうございました.最初に比べてだいぶましな文章になったと思います.
りんぱなには幸せになって欲しいし,まきりんぱなはアイドルが似合うと思いました.
後編もがんばって書きます.